ANA国内線【PR】

<4年生メートル法…万物の尺度を求めて>


 子ども達はいよいよ年齢が二桁となります。一体だった世界と自分との間にしっかり距離をとるようになりました。3年生の半ばから毎日、発見したことを書く宿題を出していますが、その文章の中に「どうしてなんだろう?」「ふしぎだな」という言葉が多く書かれるようになりました。そして、これまではぼんやりと受け止めていたお母さんの言葉を「なんで、そんなこと言うの!」と反発したり、怒られたことに対して「どうして、怒っているんだろう?」と客観的に見ている様子が書かれるようにもなりました。
 より、客観的な目で世界を見つめ始めた子ども達と最初に学んだのは「メートル法」です。
 フランス革命によって貴族たちが安住していた階級制度はくつがえされ、それまで吟味されたことのなかった行動や服従の規範が厳しい理性の光のもとに引き出されることになりました。そういった中で、度量衡という標準を永続性のある基礎の上に作ることをフランスの議会は決めました。そして、測量単位を選ぶとき「恣意的なものを一切含まず、地球上に存在するいかなる人々にも特別な利益をもたらすことがないように。」と学者たちは誓いました。
 これらのことを物語として子ども達に話した後、「それでは、長さの基本単位は何を基準にしたのでしょう。」と投げかけ、宿題にしました。これは、なかなか難しい宿題でした。(お願いです。学校から帰ったお子さんが何かをたずねてきたら、確かめてからお答えくださいね。子どもは答えだけを手にしてしまい、あれかな?これかな?と考えるプロセスを経験することができません。)
翌日、ワクワクしながらなんだろう?と考えてきた様子が多くの子ども達の表情にありました。投げかけを続けて、ヒントを出して、ようやく「地球ですか?」と小さなつぶやきが聞こえました。「そうです。」の私の返事に「えーっ!!」と目を円くする子ども達。答えがあまりに大きすぎて、ため息が出ています。
「世界中の人たちに関係するもの…地球」 うん、うん、納得。みんな満足そうでした。
(石尾 紀子)

# by bridge-since2008 | 2012-05-14 07:38 | 教師より

出逢うことの意味

 
 デスクトップの背景を、『モンゴルの馬たち』から『入学式』の写真に変えた。パソコンを開くたびに1年生の子ども達を眺めている。まだ出会って3週目なのに、既に私の生活のほとんどは、彼らのためにあるようなものだ。
 3月に8年生を送り出したあと、もちろんすぐに切り替えはできなかった。生徒と共に何年も続けてきた生活にはそれなりのリズム、気分、習慣、思考の仕方があり、いきなりブロッククレヨンや、ペンタトーン、ファンタジーの世界に移行すること、というより、自分にそれができるのかどうかに、大きな不安とプレッシャーを感じた。4月に入っても不安は続き、珍しく本当に胃が痛み出した。
 そうして迎えた入学式当日の朝、玄関で子ども達に会った。全くの初対面の子もいた。緊張していたのは彼らも私も一緒だったろう。この子達とこれから毎日を過ごしていくのだ。泣いたり笑ったり、怒ったりしながら、そしてやがて理解し合い、許し合い、いつか私の背を抜かして対等にものを言い始め、卒業する頃には優しさに満ちた若者になって…と、そんな姿はまだ想像も出来ないので、とにかく今は、可愛らしい小さな彼らの姿を心にとどめておきたい。
 胃が痛くなるほどの不安を覚えていた私だったが、子ども達と会ったその日、不安は跡形もなく消え去った。入学式で、緊張して棒のようになっていた子ども達も、次の日から少しずつ本領発揮、廊下で待つ間の声も大きくなってきた。6人の小さなクラスなので、一人ひとりがよく見えて、面白い。色々な個性の子がいて、バランスも悪くない。今のところみんな元気で、サークルゲームも、お手玉も、お勉強(机についてすること)も、掃除も、楽しみながら一生懸命に取り組んでいる。お話の時間には浸りきって、登場人物になりきった表情を表したり、うなづいたり、ため息をついたり…。そして普段いつもよく笑う。私も思わず笑ってしまう。子ども達と共にいられることに幸せを感じている。
 タイトルの「出会うことの意味」は、おそらく今わかることではないのだろう。1年生と小さな輪を作ってバースを唱える時、自分の心の状態は、8年生と向かい合ってバースを唱える時と何ら変わらないと感じた。教師として子ども達と出会うということは、その人生の大事な時期に深い印象を残すことである。そして、教師自身にも成長が求められる。小さな体をみずみずしいエーテルでいっぱいにして、彼らは私という人間を通して学ぶためにやってきたのか。とてもとても畏れ多い気持ちになる。けれど、同時に、そんな機会が与えられたこと自体に、明るい光を見る思いだ。

 今、帰りの会で唱えているのは、最後に紹介する「頭から足まで」のバースだが、3週目に入って、子ども達が少しずつ口を開き出した。まだ完全には体に入っていない状態で音だけで唱えているので、なんとも混沌としたバースになるが、最後の一言「すべて愛なのです」だけはみんなの声がひとつになる。かつて私には、子ども達の体のまわりに光が見える時期があった。子ども達の「すべて愛なのです」の声が響く時、教室はまさに愛に満ちたエーテルに包まれ、視界の隅にキラキラと光のしずくが落ちるのが見える気がする。

 
 頭から足まで、私は神様の姿です。
 心臓から手まで神様の息を感じます。
 口で話す時、私は神様の心に従います。
 お母さんの中、お父さんの中、私のまわりのみんなの中、動物の中、花の中、木の中、  石の中、いたるところに私は神様を見ます。
 私を怖がらせるものは何もありません。
 私のまわりにあるのは、すべて愛なのです。
                              (藤田聡子)

# by bridge-since2008 | 2012-05-03 21:47 | 教師より

いずみの学校 教師による黒板絵

小学校低学年教室。教室後部の黒板一面使用した大作です。

# by bridge-since2008 | 2012-05-02 21:54 | 黒板絵ギャラリー

< 前のページ 次のページ >