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学校法人北海道シュタイナー学園 いずみの学校 隔週発行の教職員だよりです!


by bridge-since2008

はじめの一歩

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一年生、春の息吹

 赤ちゃんがはじめて立ち上がる瞬間、ぐらぐらしながらも一歩一歩踏み出す瞬間は、なんと美しいものでしょうか。その笑顔は喜びに満ち、なんと輝いていることでしょう。“私はここにいます。”“私は自分のあしで世界に立っています。”と。

 人は生まれて一年ほどで、一般的にハイハイからまっすぐ自分の脚で立ち、歩き始めます。もちろん遅い子もいれば、早い子もいます。お兄ちゃんを追いかけるのもハイハイで、「まって~まって~」。今までは四つん這いの姿勢で、その視界でしか生きられなかったし、大地にとても近い場所で世界を探求してきました。そして立ち上がったその時、さらに広い世界が広がります。無意識の中で、大地からまっすぐ上に流れる「自分を支える力」を脚から背骨そして体全体で受けます。それと同時に「天から頭を通り大地にまっすぐに下に流れる力」を受けます。このときの赤ちゃんの“わたしはここにいます”と言わんばかりの姿は、なんと気持ちよさそうでしょうか。見ている周りのものにも、生命の息吹が伝わる喜びの瞬間ですよね。

 この春、6人の子どもたちがいずみの学校に入学しました。雪が残る寒空の下でしたが、まさに春の息吹が感じられるような入学式でした。大きな鉄筋の小学校の中、在校生のお兄さん、お姉さんたちが勢ぞろいで、おうちの方たちやたくさんの先生たちが見守る式場に、ドキドキしながら入っていく6人の子どもたち。かなり緊張気味の子どもたちもいましたが、新入生紹介で担任が目の前に立ち、自分の名前が呼ばれる番になると、どの子の瞳からも「いいよ、先生」という合図が伝わってきました。そして自分の名前を呼ばれたそのとき、「はい!!」(私は一年生になります。わたしはこの学校にいます)という声と、すっとまっすぐ立ち上がる姿は、生命の息吹を感じさせてくれる、なんとも輝かしいものでした。

 こうして6人の一年生は新しい人生の扉を開きました。始めのメインレッスンでは、直線と曲線について数週間学びました。
 第一週目は「まっすぐな線」と「丸みのある線」が 教室のいたるところにあることに気づき、世界のもの全てが直線と曲線でできていることを、目で見たり手で触ったり、いろいろな形の線の上を動いたりして確認していきました。今まで夢の中でだだよっていた幼児が、初めて自分の意識(気づき)を通して物事を認識し始めました。まさに赤ちゃんがよちよちと歩き始めるように、この子どもたちは、いま、意識を通して世界を歩き始め、夢から覚めて外界に一歩踏み出した、大きな瞬間のように思えました。
 そうして、自分の席に座り、新しい大きなノートをもらい、クレヨンが日ごとに増えて、「うれしい!」が毎日毎日一つずつ増えていくような3週間でした。おうちの人たちから丁寧に用意してもらったクレヨン入れに、ピカピカのクレヨンを大切に大切にしまう様子は、とても印象的でした。

 ゴールデンウィーク前の最後の日には、虹を描きました。まず私が、お話の中で「男の子の前に、ぱあーっと七色の橋がかかりました」というと「あっ 虹だ!」「虹だ!」と子どもたち。そして黒板に私から紫の橋を架ける(描く)と、6人の子どもたちに黒板の前にでて、一人一色ずつ青から赤までの橋を重ねてもらいました。一人一人の手で、一色一色の橋を重ね一つの大きい虹の橋になっていくところをわくわくしながら静かに見ている子どもたち。黒板にかかった大きな虹が出来た時はとても満足そうでした。そして、自分のノートにもワクワクしながらおおきな虹を描いていました。

 ゴールデンウィークの後は、渦巻き、交わった直線など、直線や曲線の発展形を勉強しました。形に関する感覚を高め、描く練習をすることは、これからの文字の良い導入になります。
そんな時、青空教室で林の中を歩いていると、こごみを発見!!そしてその中に教室で描いた蛇さんの模様(渦巻き)があることに子どもたちはとても驚いていました。あっここにも!あっここにも!教室の中で勉強したことが、実は今まで知っていたものの中にあったことに、うれしさと驚きを感じていたようです。タンポポの茎を縦に裂いて水につけ、渦巻きの形を作り学校に持ってきてみんなに見せてくれた子、貝殻を取ってきて、その中の渦巻きを見せてくれた子もいました。早くお兄ちゃんのように文字を勉強したいと胸膨らませている子どもたちですが、まずは自分たちが勉強していることが、世界の中にたくさんあることにも充実感を感じているようでした。

 また、つい先日の青空教室では、砂場の横で子どもたちみんなが、なかよくレストランごっこをする姿が見えました。お料理する人、看板を立てる人、材料集め、箸作り、お皿集め、葉っぱのお金あつめ、銀行、お客さん、などなど、子どもたちの発想と協力しあう心のハーモニーが、子どもたちから自然にあふれ出てきました。「…ちゃん、…とってきて!!」「は~い」。こうやって、楽しいことを力をあわせてやるところから、つながりが深まり、ゆっくりゆっくり相手を思う友情が育っていくのだろうと頼もしく思えました。
また外側は緑色で中は黄色いタンポポのつぼみがかぼちゃとか、つくしの頭だけ集めてお豆とか、砂場の大きい砂は荒塩とか、ねばりが出る葉を揉んでねばねばサラダ、浅葱のサラダ、タンポポコーヒー、パプリカ、スパゲティーなどなど、本物そっくりのものまであって、自然の素材からいろいろなものをうみ出す子どもたちの想像力に担任は脱帽でした。
 そして「採っても採ってもなくならない自然の恵みに包まれて遊べる経験は、この時期の子どもに本当に大切だなあ」と改めて感じました。いま「無限にもらい包まれる経験」を無意識にもたっぷりと体験することで、自分から周りに流していく無限なる温かさも育まれるような気がします。担任はもっぱらお客としてたくさんご馳走になりました!!ごちそうさま!

 さて、このようにして入学からあっという間に6週間がたちました。一年生は、まだまだ子どもの無意識に働きかける時期。これからの学びという種を蒔き育てるための、ゆたかな土づくりの時期を温かく支えていきたいと思います。
 いずみの学校のコミュニティーの皆さま、いつも温かく見守っていただき、多面にわたりご協力ありがとうございます。今後共よろしくお願いします。(吉野) 
# by bridge-since2008 | 2013-05-31 10:08 | 教師より

あと2か月

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 1日遅れだが、学校で節分の豆まきをした。
 朝のメインレッスンから教室で大豆を炒り始めたので、1階の廊下には香ばしい匂いが立ちこめた。通りすがる先生方や子ども達が、わざわざ鼻をひくつかせていく。「いいにおいですね〜」と言いながら。炒った大豆は、折り紙で折った色とりどりの小さな箱に入れて、平たいカゴに並べた。子ども達はより美しい色合いにしようと、何度も何度も紙箱を並べ替えた。
 まずは3階へ。高等部から順番に、各教室に豆を配るためだ。1年生にとって、普段上がって行くことのない3階は、ほぼ未知の世界であり、そこに大きなお兄さんやお姉さんが何人もいれば、緊張は最高に高まってしまう。廊下を歩きながら、「持ってるお豆、鬼は外って、まいてください」と私がいくら声をかけても、なかなか耳に届かないようだった。ようやくまいても、一粒をぽろり・・と落とす感じで、無理もない、と心の中で笑ってしまった。10年生以上の高校生達は、お弁当の真っ最中だったが、小さな1年生が教室に入っていくと、どのクラスでも居住まいを正して迎えてくれた。特に11年生は1年生がやって来たことをいち早くキャッチして、教室で準備をしていた。ユーモアたっぷりに大勢で床に正座して三つ指ついて待っていたのだ。扉を開けた途端、11年生と私は大爆笑となった。(1年生はここで少し緊張がほぐれたが、まだ笑わない・・。)
 3階から2階へ、更に1階へと階段を下りるにつれ、緊張も解けて来たようで「鬼は外、福は内」と少しずつ声も出て来て、豆をまきながら教室をめぐる。生徒全員に会えなかったクラスもあったが、どのクラスでも子ども達は、1年生が配り歩く豆を大事そうに受け取ってくれ「ありがとう」と優しく声をかけてくれた。さすが、上級生である。普段やんちゃぶりを発揮している4・5年生達も、1年生の前では、さっと上級生の顔になり、親切さを前面に出してくるあたり、まったく感心させられる。
 さて、職員室や専科の教室にも無事豆を配り終えた1年生は、生徒玄関から外に向かって「鬼は外!」と大きな声で叫びながら、惜しげもなくたくさんの豆を投げ、とうとう教室に戻ってきた。さあ、最後は自分たちの教室の豆まきだ。
 「廊下から内廊下に入る2つの入り口に3人ずつ立ち、合図とともに後方のドアを通って教室に入ったら、一気に前方の開け放された窓へと鬼を追い、外へ逃がす」という作戦を立てた。1年生にわかるように説明し、まず3人ずつで入り口を塞ぐ。子ども達はやる気満々、鼻息も荒く豆の紙箱を持って身構える。「それー」という合図の声で、6人が一斉に豆を投げながら教室になだれ込む。そして窓の方に豆を投げながら走る。小さな教室なので、一瞬の出来事だが、子ども達は真剣そのもので窓から鬼を追い出した。「もう鬼は逃げて行ったよ!」と、私が窓を閉めるまで「鬼は外!鬼は外!」の声と豆を投げるのが続いた。まるで本物の鬼を見ているような強い眼差しで・・・。「みんな、福は内、も言ってね!」と言うと、あら・・・もう豆がない。紙箱はすっかり空っぽ・・・。まあ、いいでしょう。もう、福は十分に与えられているのかもしれないから。

 冬休みに考えていた。もうあと3ヶ月で「1年生」が終わる。春の出会いから、瞬く間に楽しい日々は過ぎ去った。6人の小さな子ども達は、何も知らずに学校に上がって来たと言っていいほど、様々なことを次々に吸収した。それは彼らにとってはとても大きな刺激と変化であっただろう。よく克服してきたね、頑張ったね、と思う。そしてちょっぴりせつないような気持ちで、もう二度と彼らに戻って来ないファンタジーいっぱいの「1年生」という時期を思う。
 今朝、ろうそくのまわりに腰掛けた時、一人の子が、「あっ!」と小さく叫んだ。みんな一斉にネイチャーテーブルを振り向いた。「お母さんの向き、変わってる」「起きたんだ」「先生、お母さん、一度起きたんだね」・・・・・ネイチャーテーブルの下の穴の中で、冬眠中の親子グマが、土日のお休みの間に起き上がって向きを変えた、と、みんな口々に言っていたのだ。どうもそうらしい。クルミの数も減っていたもの。

                                1年担任 藤田聡子
# by bridge-since2008 | 2013-02-22 23:27 | 教師より

ランタンウォーク

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♪ ちいさな明かり、心に灯し
  天使と共に、夜道を歩こう・・・

夜になって再び登校してくる1年生を待つために、いくつかのキャンドルの明かりを残してすべての明かりを消すと、校内のどこかで、バターン!という音がした。その瞬間、万霊節だということが思い出され、私は背中に恐怖を感じて、外に飛び出した。

ランタンウォークのために、約1ヶ月前から子ども達と準備をしてきた。ランタン作りに使う落ち葉を拾った頃は紅葉前で、子ども達にはまだ目的は内緒だった。みんなでランタンを作り、毎朝歌を歌い、絵を描き、お話を聞いて、ようやく迎えた昨日・・。
子ども達は、初めて火をつけた自分のランタンを大事そうに持って、大風の吹き渡る暗闇に足を踏み出した。私の息に合わせて、子ども達が歌う。いつもより声が大きいのはこわいからかな・・・。1列になって歩く真っ暗な校庭は、見慣れた場所とは思えない。ランタンは、風にあおられて大きく揺れたが、その火が消えることはなかった。
毎日おやつを食べる東屋にたどりついて、大きな蠟燭にランタンから火を移し着け、梁にランタンを提げたらほっとしたのか、子ども達は笑顔を見せるようになっていた。四大霊の歌を歌って、再びランタンを持ち、元来た道を戻った。

「暗闇を歩く」という体験は、暗闇を体験するものではない。体験するのは、自分の心に灯る明かり、「光」だ。それは勇気や信頼の光、愛の光だろう。
一夜明けた今日、子ども達は饒舌だった。口々に「こわくなかった」と言うので、「一人ならどうだったかな?」と聞いてみた。「一人ならこわかった!」と一斉にみんな答えた。

その通りだと思った。私も一人ならこわい。目の前に広がる真っ暗闇も、自分のちっぽけな人生を、ただ歩くことも。

(1年担任 藤田聡子)
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# by bridge-since2008 | 2012-11-07 15:49 | 教師より